【追悼】久保走一先生を偲んで

2021/5/18
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 本学会の会長を務められた久保走一先生は、令和2年11月16日92歳の天寿を全うされました。先生は、戦中、戦後の混乱期に千葉大学工学部の前身である東京工業専門学校写真科を卒業され、大学に残り千葉大学助教授、教授を務められ平成6年3月千葉大学を定年退職され名誉教授の称号を授与されました。その後、東京工芸大学理事、芸術学部教授として大学の運営,写真科学、画像工学に関する研究と後進の指導も続けられました。

 先生は学生時代に健康を害し数年間療養生活をされたと伺っておりました。在学期間が長期間であったため多くの友人ができた「災いを転じて福となす」ことが大切だとよくおしゃっておられました。先生のご専門はカラー写真、色彩科学で我が国黎明期の写真工業を色彩計測、画像評価などの面から支えられました。

 私は学生時代、先生の色彩計測や写真計測の授業が理解できずようやく単位を貰ったことを覚えています。このような私を昭和57年京都工芸繊維大学から先生の助教授としてお呼び頂き赴任しましたが、内外の大学、企業研究者、技術者が絶えず先生を訪れること、先生の交友関係の広さに大変驚きました。先生の研究室は新設講座で、赴任した当時は屋根裏部屋のような狭い研究室で先生と過ごした数年間を思い出します。

 先生は、その後写真工学科から画像工学科への改組、大学院の拡充など千葉大学が画像科学のメッカになるよう大変な尽力をされました。先生の研究室を出られた学生はもうほとんどが第一線から退かれておりますが多くの人材を育てられたこと研究者としても教育者としても本当に一流の人でした。

 先生のご定年頃から銀塩写真はデジタル画像に凌駕されてゆきましたが常にその動きを冷静に見つめ我々には、将来を見据えた研究をするようにとご自分の研究を押し付けることはありませんでした。

 先生は、ご自宅にも暗室を設置されるなど写真を心から愛しており、写真撮影は、プロの腕前で個展も開くなど科学者は芸術への造詣が必要であると身をもって示されました。いつも温厚で笑顔を絶やさず、学生もすべてgentlemanとして扱い言葉使いも丁寧でした。研究室では、仏の久保、鬼の三宅とか言われ、何とか先生の人格に近づきたいと思いましたが、いまだにかなわずにおります。古典などの膨大な読書に裏付けられた先生の深い教養は本当に尊敬致しました。

 ここ数年健康を害し、ご子女の近くの介護施設で穏やかに過ごされていると伺っておりましたがコロナ禍で一度も面会できなかったことが悔やまれます。先生の永眠で銀塩写真の科学、芸術両面を本当に理解された方が皆無となりました。

 先に逝かれた水澤先生共々安らかに休まれて下さい。先生の薫陶を受けた者一同心からご冥福を祈っております。
(写真は卆寿のお祝いにて山崎孝氏撮影)

日本写真学会フェロー、元会長
三宅洋一